

以下は「Legacy of Leadership: A History of the Gemological Institute of America(伝え継がれるリーダーシップ:米国宝石学協会の歴史)」(2003年)から抜粋された内容です。
1991年初頭、当時GIAのマーケティングディレクターであったKathryn Kimmel(キャサリン・キンメル)は、ブランド化や広告・マーケティングキャンペーンを超えた、全く異なるタイプの課題に直面していました。 彼女の業界でのコネクションや、小売店や宝飾品製造での豊富な経験が、彼女が予想していたよりも多くの形でGIA全体で求められていました。 「GIAで教育を修了し、世に出ていく準備ができたものの、どうしたらいいのか分からず導きを必要としている学生達が、絶え間なく私のオフィスを通り抜けて行きました。」とキンメルは回想します。
キンメルはそれらの学生を助けることに自らを捧げていましたが、最大でも、毎年わずか数名しか指導できませんでした。 また、助けを必要としている人は何百人もいて、その多くは第二のキャリアを始める所でした。 一方、GIAは雇用機会のリストを維持してはいたものの、学生と業界間のネットワーク構築を促進する正式なプログラムはありませんでした。 何か手段を講じる必要がありました。
キンメルは業界での経験から、才能ある新人に対する莫大な需要があることが分かっていました。 そして、そのような新人達がいることを間近に見つつも、需要と供給をどう合わせるかという点が問題であると感じていました。 彼女は、当時社長であったBill Boyajian(ビル・ボヤジン)に解決策を提案しました。それは、GIAの学生を業界の人物と会わせて、学生に仕事の探し方を教えると共に業界に紹介する、GIA主催の「キャリアフェア」でした。 ボヤジンがその案を支持し、キンメルは動き始めました。
キンメルが向かった最初の場所は、彼女が6年間役員を務めた南カリフォルニアの24 Karat Club(24カラットクラブ)でした。 彼女は長年の友人、Howard Sherwood(ハワード・シャーウッド)にそのアイディアを売り込みました。 シャーウッドはすぐに彼女の共同議長になることに合意しましたが、その他の人は納得しませんでした。 「不可能だと言ってきた人もいました。」とキンメルは述べています。 「私は「見てなさい!」と答えました 。」
1991年の夏の間中、キンメルは、24カラットクラブの会長Jack Zemer(ジャック・ゼマー)、Diamond Promotion Service(ダイアモンドプロモーションサービス)のBart Boydston(バート・ボイドストン)とEarl Lynch(アール・リンチ)、National Jeweler(ナショナルジュエラー)のLynn Diamond(リン・ダイアモンド)、Manufacturing Jewelers & Silversmiths of America(マニュファクチャリングジュエラー&シルバースミス・オブ・アメリカ)のMatt Runci(マット・ルンチ)を含む24カラットクラブのメンバーから成る運営委員会と共に活動しました。 委員会はGIAキャリアフェアに向け、資金やその他の面のサポートを構築するため動き出しました。 一人また一人と、反対派は味方に引き入れられ、キャリアフェアに向けた勢いは急速に成長しました。
初のキャリアフェアは、1991年10月にGIAのサンタモニカキャンパスで、南カリフォルニア24カラットクラブの年次ダンス夕食会と合同で開催されました。 250名の学生が、宝石・宝飾品業界での雇用機会、業界内の様々な分野、学生からフルタイムの仕事への移行の仕方についての、一連のパネルディスカッションに参加しました。 また、23社の企業が採用を行いました。
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業界の反応は積極的でした。 第二のキャリアフェアが1992年に開催された際に、新しい試みが行われ、キャリアフェア最大のヒットとなりました。それは、採用枠を見つけ、履歴書を作成する方法について業界のリーダーから1対1の指導が受けられ、業界での機会を直接的に聞く事ができるというものです。 「優秀なものの、履歴書を書いた経験が殆どない学生がたくさんいました。」とキンメルは述べています。
1993年1月には、GIAニューヨークが独自のキャリアフェアを開始しました。 キンメルは、キャリアフェアは、GIAの学生を業界の仕事にリクルートするということ以上の役割を果たすと信じていました。宝石業界に才能のある人材を惹き付けることもできる、と信じていたのです。 その見込みは、キンメルが想像した以上により完全な形で実現しました。
米国最大の宝石小売店Zale Corp.(ゼール社)にとっては、キャリアフェアが「私たちの最高の採用イベント」です、と同社の人事部長であるSusan Goodfellow(スーザン・グッドフェロー)は、1998年に述べています。 「私達は、全国の地域マネージャー、店長、そして販売員を探しに来ます。 バイヤーや店舗運営担当者など、全てのレベルにおける宝石の専門家を採用しています。」
2002年までに、ニューヨークでは1000名以上、カールスバッドでは800名以上が、それぞれのキャリアフェアに参加しました。 両海岸でのGIAキャリアフェアの成功によって、キャリアフェアはGIAが提供する最も重要な事業の1つとして業界で認識されるようになっていました。これは、業界で最も大規模で正式な採用機会だったから、という訳では全くありません。 24カラットクラブの年次夕食会の前に開催されたささやかな集まりは、GIAの学生や業界外から来た就職希望者が、大手宝石会社の幹部と触れ合うことができる主要な業界イベントに成長していました。
「キャリアフェアは、何千人もの学生に仕事や指導者を見つけること以上のことを行っています。」とキンメルは述べます。 「業界に多くの新たな人材を引き寄せ、業界人は宝石業界にお返しができます。 私のところに来て「私は8年前にキャリアフェアに行き、当時は何も分かっていませんでしたが、今は大手宝石会社の副社長です」と言う人に会ったとき、それが本当に報われたと分かるときです。 それは真にGIAから業界へ、業界から学生たちへのとっておきの架け橋なのです。」
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以下は「Legacy of Leadership: A History of the Gemological Institute of America(伝え継がれるリーダーシップ:米国宝石学協会の歴史)」(2003年)から抜粋された内容です。
1991年初頭、当時GIAのマーケティングディレクターであったKathryn Kimmel(キャサリン・キンメル)は、ブランド化や広告・マーケティングキャンペーンを超えた、全く異なるタイプの課題に直面していました。 彼女の業界でのコネクションや、小売店や宝飾品製造での豊富な経験が、彼女が予想していたよりも多くの形でGIA全体で求められていました。 「GIAで教育を修了し、世に出ていく準備ができたものの、どうしたらいいのか分からず導きを必要としている学生達が、絶え間なく私のオフィスを通り抜けて行きました。」とキンメルは回想します。
キンメルはそれらの学生を助けることに自らを捧げていましたが、最大でも、毎年わずか数名しか指導できませんでした。 また、助けを必要としている人は何百人もいて、その多くは第二のキャリアを始める所でした。 一方、GIAは雇用機会のリストを維持してはいたものの、学生と業界間のネットワーク構築を促進する正式なプログラムはありませんでした。 何か手段を講じる必要がありました。
キンメルは業界での経験から、才能ある新人に対する莫大な需要があることが分かっていました。 そして、そのような新人達がいることを間近に見つつも、需要と供給をどう合わせるかという点が問題であると感じていました。 彼女は、当時社長であったBill Boyajian(ビル・ボヤジン)に解決策を提案しました。それは、GIAの学生を業界の人物と会わせて、学生に仕事の探し方を教えると共に業界に紹介する、GIA主催の「キャリアフェア」でした。 ボヤジンがその案を支持し、キンメルは動き始めました。
キンメルが向かった最初の場所は、彼女が6年間役員を務めた南カリフォルニアの24 Karat Club(24カラットクラブ)でした。 彼女は長年の友人、Howard Sherwood(ハワード・シャーウッド)にそのアイディアを売り込みました。 シャーウッドはすぐに彼女の共同議長になることに合意しましたが、その他の人は納得しませんでした。 「不可能だと言ってきた人もいました。」とキンメルは述べています。 「私は「見てなさい!」と答えました 。」
1991年の夏の間中、キンメルは、24カラットクラブの会長Jack Zemer(ジャック・ゼマー)、Diamond Promotion Service(ダイアモンドプロモーションサービス)のBart Boydston(バート・ボイドストン)とEarl Lynch(アール・リンチ)、National Jeweler(ナショナルジュエラー)のLynn Diamond(リン・ダイアモンド)、Manufacturing Jewelers & Silversmiths of America(マニュファクチャリングジュエラー&シルバースミス・オブ・アメリカ)のMatt Runci(マット・ルンチ)を含む24カラットクラブのメンバーから成る運営委員会と共に活動しました。 委員会はGIAキャリアフェアに向け、資金やその他の面のサポートを構築するため動き出しました。 一人また一人と、反対派は味方に引き入れられ、キャリアフェアに向けた勢いは急速に成長しました。
初のキャリアフェアは、1991年10月にGIAのサンタモニカキャンパスで、南カリフォルニア24カラットクラブの年次ダンス夕食会と合同で開催されました。 250名の学生が、宝石・宝飾品業界での雇用機会、業界内の様々な分野、学生からフルタイムの仕事への移行の仕方についての、一連のパネルディスカッションに参加しました。 また、23社の企業が採用を行いました。
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業界の反応は積極的でした。 第二のキャリアフェアが1992年に開催された際に、新しい試みが行われ、キャリアフェア最大のヒットとなりました。それは、採用枠を見つけ、履歴書を作成する方法について業界のリーダーから1対1の指導が受けられ、業界での機会を直接的に聞く事ができるというものです。 「優秀なものの、履歴書を書いた経験が殆どない学生がたくさんいました。」とキンメルは述べています。
1993年1月には、GIAニューヨークが独自のキャリアフェアを開始しました。 キンメルは、キャリアフェアは、GIAの学生を業界の仕事にリクルートするということ以上の役割を果たすと信じていました。宝石業界に才能のある人材を惹き付けることもできる、と信じていたのです。 その見込みは、キンメルが想像した以上により完全な形で実現しました。
米国最大の宝石小売店Zale Corp.(ゼール社)にとっては、キャリアフェアが「私たちの最高の採用イベント」です、と同社の人事部長であるSusan Goodfellow(スーザン・グッドフェロー)は、1998年に述べています。 「私達は、全国の地域マネージャー、店長、そして販売員を探しに来ます。 バイヤーや店舗運営担当者など、全てのレベルにおける宝石の専門家を採用しています。」
2002年までに、ニューヨークでは1000名以上、カールスバッドでは800名以上が、それぞれのキャリアフェアに参加しました。 両海岸でのGIAキャリアフェアの成功によって、キャリアフェアはGIAが提供する最も重要な事業の1つとして業界で認識されるようになっていました。これは、業界で最も大規模で正式な採用機会だったから、という訳では全くありません。 24カラットクラブの年次夕食会の前に開催されたささやかな集まりは、GIAの学生や業界外から来た就職希望者が、大手宝石会社の幹部と触れ合うことができる主要な業界イベントに成長していました。
「キャリアフェアは、何千人もの学生に仕事や指導者を見つけること以上のことを行っています。」とキンメルは述べます。 「業界に多くの新たな人材を引き寄せ、業界人は宝石業界にお返しができます。 私のところに来て「私は8年前にキャリアフェアに行き、当時は何も分かっていませんでしたが、今は大手宝石会社の副社長です」と言う人に会ったとき、それが本当に報われたと分かるときです。 それは真にGIAから業界へ、業界から学生たちへのとっておきの架け橋なのです。」
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